かつて安倍洋子夫人に聞いたこと(1)

2006/09/19 08:53

 

安倍晋三官房長官の母親、安倍洋子さんは昭和3年(1928年)6月14日、商工省の官僚、岸信介の長女として東京で生まれた。父親が渡米中に誕生したので、太平洋の洋を名前につけた。昭和26年(1951年)5月5日、毎日新聞政治部の安倍晋太郎記者と結婚。見合い結婚であった。翌27年4月28日、父親の公職追放が解除された。奇しくも日米安保条約発効の日であった。 


13年前、安倍洋子夫人にインタビューした。そのなかから、いくつかを紹介していきたい(『正論』平成5年8月号掲載)。インタビューは、つぎのようなやりとりから始まった。 


――安倍晋太郎さんとのご縁は、どういうことでしたか。

「父は、毎日新聞政治部の長坂(慶一)さんなどに、わたしの結婚相手をさがしてくれるようにお願いしていたようです。それで長坂さんが、主人を推薦して下さいました。主人は、山口県の出身ですし、お父さん(安倍寛)は戦前の代議士で父も出会ったことがあります。そんなことから、『おまえ、どうだ』ということになったようでございます」


 ――お見合いの場所は。

「渋谷の南平台のレストランでございます。このお店をやっていた橋口さんという方は、以前、父の叔父にあたる松岡洋右さん(元外相)のコックでした。南平台にはよほど縁があるようで、このレストランがなくなってから、隣の土地に父は家を建てました」 


60年安保のとき、メディアは、岸首相をまるで極悪人のようなイメージで報じ、それに刺激されて反対運動もエスカレートしていった。


 ――あの頃、デモ隊に取り囲まれていた南平台の岸邸の様子は、いかがでしたか。

「当時、わたしたちは、代沢の佐藤の叔父(栄作)の家のすぐそばに住んでいたんですけれど、心配で毎日のように南平台を訪ね、そのまま泊り込むこともありました。あの家は、父が、『ウナギの寝床みたいだ』と申しておりましたけれど、細長い家でございました。門から玄関までだいぶ距離があったのが幸いして、(投石が)家までは届かないんです」


 すこし引っ込んでいた隣家にも、デモ隊はまちがって石をなげこんだ。隣家は、塀に「こちらは岸邸ではありません」と張り紙をだした。 


――岸首相は毎日、自宅に帰ってきましたか。

「はい、帰ってきました。裏門がございましてね、そこは細い道で、ちょっとわからなかったんですね。あ、こんなところに裏門があるのか、というようなところにございましたから、わたしたちも、そこから出入りしていました」 


デモ隊に囲まれて家族はハラハラし、夜も眠れぬ状態であったのに、岸首相には余裕があった。「デモに参加している人たちは、必ずしも自分の意思で参加しているのではない」といって、縁側からデモ隊を眺めていたという。 


「わたしのこどもたちが、外の声をまねて、『アンポ、ハンターイ』といって、部屋を駆け回ります。わたしが、『アンポ、サンセイ、といいなさい』と叱っているのを、ニコニコ笑ってみていました。父のあの余裕は、いま思いますと、自分の判断の正しさに確信をもっていたからだと思います」


 部屋を駆け回っていたこどもたちのひとりは、いうまでもなく幼いころの安倍官房長官である。 


<きょう・あす・あさって> 


9月21 根津神社大祭。


 〔フォトタイム〕 


中目黒GTアートガイドその3 
フランスのアーティスト、ジャン=フランソワ・ブランは、光を使った作品で、空間全体をアート化するのが得意とか。下段の地下1階広場では、床面のガラスブロックが、日没とともに光を放って幻想的な雰囲気をかもしだします。「百の月の池」と呼ばれています。






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コメント(3)

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2006/09/19 09:19

Commented by abusan さん

こういう逸話があるからこそ小泉首相もマスコミ批判に
耐える事が出来たのでしょうな。「岸大先生の苦難に
比べれば私の苦難なんぞ未だ未だ甘い。これしきの事で
くじけていては福田先生に大目玉を食らうわい!」と。

とは言うものの小泉首相の苦労も筆舌に尽くせない
ものが有ったことは確かで、特に小泉訪朝は命懸けの
部分もあり、これぞ政治家の本分と言うことで。

新聞が大衆を正しい方向に導いた試しが有りませんので
結局は国民は強いリーダーを必要とする、新聞も
国民の厳しい目に耐えうるだけの記事を心がけて
欲しいものです。

 
 

2006/09/19 19:28

Commented by gtea さん

まだ私が十代の頃、高校の先生が視聴覚室で安保闘争の記録映画を生徒達に見せた事がありました。その映像は衝撃的で、「こんな熱い運動が展開された時代があったのか!」と、ちょっと反体制を気取っていた浅墓な私は正直感動しました。その映像の中にもこの岸邸へのデモがあった気がします。
しかし、それから20数年が過ぎ、最近当時の岸首相が「国会でやっているデモは一部の人間達の行動であり、断じて国民全ての声では無い。その証拠に今日も後楽園の巨人戦は満員じゃないか」と語った事を知り、当時も今もマスコミがやらかす恣意的な報道は変わらないのを実感しました。当時、この宰相でなかったら、その後の日本の繁栄も危うかったのではないか?と思える今日この頃です。

 
 

2006/09/20 06:13

Commented by 愚者なり さん

こんにちは

いい話ですね。

とくに

>「わたしのこどもたちが、外の声をまねて、『アンポ、ハンタ>ーイ』といって、部屋を駆け回ります。わたしが、『アンポ、>サンセイ、といいなさい』と叱っているのを、ニコニコ笑って>みていました。父のあの余裕は、いま思いますと、自分の判断>の正しさに確信をもっていたからだと思います」


このパラブラフに、ノスタルジックなあったかさを感じます。

 
 
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2006/09/20 00:54

言論封殺許すまじ!!忌憚無き言論は「博士の独り言」に在り!! [ド素人が行く!!]

 

創価学会の広告料によって汚染されているマスコミに代わり私に恐るべき真実を教えてくれたブログ「博士の独り言」。 創価学会の嫌がらせを恐れず捨て身で真実を書き続けた博士。 博士に何をしようとしているのか。非…