田原総一朗氏によれば、テレビは液体メディアだという。放映されれば、流れてしまって残らないという意味だ。VTRが発達したとはいえ、どれもこれも録画しているわけではない。すぐれたドキュメンタリーを固体メディアに変換するのは、活字ジャーナリズムに籍を置く人間の務めであろう。
そういうわけで、4月1日の夜9時から放映された、NHKスペシャル「激流中国超格差社会の壁」について報告をつづけたい。こんどは、出稼ぎ農民の実態である。「娘を高校に通わせないといけないから」と、杜文海さん(48)は、息子と一緒に内モンゴル自治区から天津市にやってきた。郷里の村には、息子の嫁と孫、それに娘が残っている(妻は病死)。
大黒柱の杜さんの年収は、わずか10万円にしかならない。けれど、下をみれば、もっと所得の低い層もある。中国では、いま貧富の格差が、70倍に達しているといわれるが、実際には、どれだけその差がひらいているのか、だれにもわからない、というのがほんとうのところであろう。
杜さん父子は、稼いだお金のほとんどを娘の学費と、家を守る家族3人の生活費のために仕送りしている。父親は、なんとしても、この貧しい暮らしから抜け出すために娘を大学へ行かせたいと願っている。大都会の片隅で、「旧正月までに3万円は貯めたいね」と息子はつぶやくが、父親は「このままでは難しいぞ」と肩を落とす。娘の半年分の学費の納入日が迫っているのだ。
やっとの思いで大学へ行かせた子どもたちだが、かれらのほとんどは都市に就職してふるさとには帰ってこない。帰りたくとも、職がないのだ。それどころか、いま中国では、都市部でも大卒の就職難が問題化している。大学は出たけれど、という昔、日本でも騒がれた現象が中国でも目立ちはじめたのだ。しかし杜さんには、そんな社会状況を気にする余裕など、どこにもない。目前には、いますぐに解決しなければいけない問題が、あまりにも多いのだ。そのひとつが、家賃。
杜さんは家賃が月900円の4畳半に息子と間借り生活をしている。しかし、月900円の家賃も払えず、「もう2か月の滞納だよ。いい加減にしておくれ」と、鬼婆のような家主から責め立てられている。仕方なく、杜さんは、同郷の仲間からお金を借りてきて払った。家主は冷たくいう、「あと8日で、つぎの支払い日だよ」。このままでは、杜さんは娘に学校を続けることもできないのだ。
天津港の国家的プロジェクトの工事現場で、杜さんは働いている。木の枝で編んだ土木用の敷き物をかついで運ぶのだ。1枚38円。だいたい3枚から4枚運ぶ人が多いのに、杜さんだけは6枚。「しんどい。すごく重い。しかし、頑張らないと、お金にならない」と杜さんは、顔をしかめていた。
旧正月、村へ帰省した杜さんは、息子の嫁に、出稼ぎに来てほしいと頼んだ。それしか、解決の方法がないのだ。幼い子どもを実家に託して天津にむかうバスに乗る杜さんと息子の嫁。テレビを見ているほうも居たたまれない気持ちになった。
張建平さん(31)も、妻の艶秋さん(30)と一緒に内モンゴル自治区の杜さんと同じ村から天津へ出稼ぎにきている。午前6時、張さんは、日雇い仕事を得ようと、懸命だが、仕事はなかなかみつからない。地方から出稼ぎにやってくる人たちが多すぎるのだ。中国の出稼ぎ人口は、1億人ともいわれている。日本の生産人口をはるかに超える人たちが、職を求めて都市にやってきている。わたしも5年前、まだ薄暗い早朝、西安で職を求めて集まってきた黒山の人だかりを目撃したことがある。あとで、「集まっていたのは、出稼ぎの人たちですか。たいへんですね」と、現地のガイドに尋ねたら、「西安に出てこられるだけでも幸せですよ」と、いった。いまほどに農民の行動は自由ではなかったのだ。
張さんは、もう2週間も仕事にありついていない。ふるさとには、7歳になるひとり息子の欣宇ちゃんがいる。欣宇ちゃんは、4年前、右腕を機械にはさまれて、複雑骨折してしまったが、手術に必要な3万円がまだつくれないのだ。仕事のない夫に、妻は苛立つ。
「もっと頑張って、仕事を探してよ」
「いつも探してるだろ。働いてないって、ブツブツいうなよ。探してるけど、人余りなんだよ」
「働いてくれれば、文句はいわないわ」
「また、これだ」と、怒って出ていく夫。
「出稼ぎに来ないと、お金がない。出稼ぎに来れば、ケンカばかり」と、いって泣き出す妻。やりきれない場面である。
人口2000人の張さんの村は、農業だけでは、食べるのがやっと。現金収入はほとんどない。村に残された子どもたちは、小学校の寄宿舎で暮らしていた。改革開放で医療費などが高騰し、親たちは現金を得るために、出稼ぎに行かざるを得ないのだ。北京では、出稼ぎの両親と一緒にきた子どもたちが通う無許可校、いわゆる民工学校が問題になっている。とても公立学校へ通わせることなどできないのだ。NHKの今回の番組では、多くの子どもたちが、両親と別れ別れになって地元に残されている現実をクローズアップした。寄宿舎生活をおくる子どもたちの食事は、朝と晩の2回だけ。つけもの以外におかずはない。夜、外の気温はマイナス20度。十分な石炭もないので、子どもたちは肌と肌をふれあって、暖を取りながら寝起きしているのであった。
将来、何になりたいか、という作文に、欣宇ちゃんは、「僕の夢は大学を出て、たくさん稼いで、パパとママを苦労させないことです」と書いていた。また、欣宇ちゃんの祖母が、高血圧で目が霞んでしまった。往診した医師が血圧を測ったら220にもなっていた。町の病院で検査したほうがいいとすすめたが、お金がかかるので病院へ行くのを拒んだ。これもまた、切ないシーンであった。
<きょう・あす・あさって>
4月3日、大安。コブシ見頃(小宮、石神井)、ヤナザクラ開花(小金井)。
4月4日、クマガイソウ開花(殿ヶ谷戸)。
4月5日、ヤマザクラ(小山内裏)、モミジ芽吹く(小石川)、ヒイラギナンテン(宇喜田)。
〔フォトタイム〕
桜の季節の不忍池その3
ニッポンのサクラは、いまでは世界的に知られています。台湾などからサクラ・ツアーがやってくるほどですね。不忍池にも外国人の姿がありました。また、屋台もたくさん出ていました。サクラは、日本人の心をうきうきとさせてくれますね。




by ~こめんとするあほぅ…
フランス人が高い消費税をおと…