浅間山荘事件、35年前の今頃でした

2007/02/22 09:20

 

昨夕、フジサンケイグループ主催の第22回「正論大賞」、第7回「正論新風賞」贈呈式が、赤坂プリンスホテルでありました。大賞を受賞したのは、初代内閣安全保障室長の佐々淳行さん(76)。新風賞は、筑波大学大学院教授の古田博司さん(53)。会場には、石原慎太郎都知事ら約350人が集まり、盛大なパーティーとなりました。佐々さんは元警察官僚で、浅間山荘事件で陣頭指揮をとった人。あいさつでも、そのことが話題になり、そういえば、あの事件は、今頃だったなあ、と思いました。

 

もう35年も経ちましたが、昭和47年(1972年)2月に起きた浅間山荘事件は忘れられません。当時、週刊サンケイ編集部にいて、連合赤軍が潜んでいたことがわかった群馬県榛名山へ取材に行きました。仲間のリンチ殺人を繰り返していた連合赤軍は、銃砲店からライフルなどを盗んでいましたので、警察は必死になって行方を追っていたのです。

 

現地に着いたら、榛名山から長野県へ逃げたというので、すぐ軽井沢へ向かいました。2月19日のことです。あとでわかったのですが、連合赤軍のメンバーは5人(坂口弘、吉野雅邦、坂東国男、加藤倫教、加藤元久)。かれらは、軽井沢の河合楽器の保養所「浅間山荘」の管理人の奥さんを人質にとって、立て籠もったのでした。それから10日間、激しい攻防戦が展開され、テレビで生々しく放映されたことは周知のとおりです。

 

しんしんと冷え込む夜、吉野の母親が、山荘にむかってマイクで呼びかけました。その悲痛な声が、まだ耳に残っています。その声の方角にライフルが撃ち込まれたのです。撃ったのは、吉野だったのか、あるいは、他のメンバーだったのか。

 

現場にいながら、いま何が起きているのか、わからない。むしろ茶の間でテレビをみているほうが、全体の動きがわかっているという状況で、鉄球で山荘を壊すところなどは、近くにいながら、みられません。犯人は武器をもっているので、報道陣の行動範囲は制約されていて、ずいぶんもどかしい気分になりました。

 

2月28日、浅間山荘に警察が突入し、事件は解決しましたが、ご存じのように警察官2人が殉職しました。きのう、佐々さんはあいさつのなかで、パーティー会場に、遺族の方がみえられているはず、と話していました。逮捕された5人が、連行されてくるとき、人垣の間から罵声が飛びましたが、そのなかをごう然と歩く坂東の姿が眼に焼きついています。こういうときは、現場にいないと臨場感ある原稿は決して書けませんね。周知のように、のちに、かれはテロリストとの交換条件で海外へ逃れました。福田内閣の苦渋の決断でしたが、もう2度とあってはならない判断だったと思います。

 

<きょう・あす・あさって>

 

2月22日、大安、ウメ開花(殿ヶ谷戸庭園)。

2月24日、ウメ開花(小金井公園)、サンシュユ開花(桜ヶ丘公園)。

 

〔フォトタイム〕

 

国立新美術館その12

レストラン、ミュージアムショップ、アートライブライーなど、新美術館には立ち寄るところがいろいろあります。美術館というのは、いってみれば、知性人の憩いの場なんですね。



 

カテゴリ: コラむ    フォルダ: 大島信三のひとことメモ

コメント(8)  |  トラックバック(0)

 
このブログエントリのトラックバック用URL:

http://oshimas.iza.ne.jp/blog/trackback/121679

コメント(8)

コメントを書く場合はログインしてください。

 

2007/02/22 11:27

Commented by アメノマスヒト さん

大島さま
あれから35年なんですね。佐々さんがあのときの指揮者だったことは、佐々さんを良く知る警察官僚の方から聞いたことを思い出しました。そのとき佐々さんに現場指揮を買って出たのが亀井静香氏であったともそのときに。
こんなエントリーが無ければ思い出すこともないのですが。
私は学生でTVに釘付け。大島さんは現場で大変だったんですね。

 
 

2007/02/22 13:08

Commented by 大島信三 さん

人質救出、犯人グループ逮捕に全力をあげている警察の苦労は、それは大変だったと思います。

 
 

2007/02/22 14:01

Commented by やまかんむり さん

同じ月の前半は札幌オリンピックでした。日の丸ジャンプ隊の活躍は華々しかったですが、今は惨憺たるものです。

 
 

2007/02/22 15:37

Commented by 大島信三 さん

雪の少ない日本ですが、日の丸ジャンプ隊はどこで練習しているのでしょう。

 
 

2007/02/22 18:42

Commented by 丸山光三 さん

大島信三 さま、
この事件のあとに明らかになった「連合赤軍リンチ殺害事件」のほうがよりショッキングでした。「左翼盲動主義」の陰の悲惨な同志殺し、当時サンケイ新聞が深く追求されていたことをよく憶えています。産経新聞があってよかった、といまでもしみじみ思います。さらなるご健闘を祈ります。

 
 

2007/02/22 21:09

Commented by 大島信三 さん

ありがとうございます。たしかに悲惨なリンチ事件でした。当時、リーダー格だった永田洋子の父親に会って取材しました。温厚なサラリーマンだったように記憶しています。「母親は厳しく教育していたのですが」と寂しく語ったのが印象に残っています。

 
 

2007/02/23 00:52

Commented by あるぱか さん

あまりに凄惨すぎると人は目を背けてしまいます。
35年の月日は人々の記憶を風化させてしまいますが、その影響力は形を変え時々吹き出してくるように思います。
共産主義やカルトが如何に危険か、肝に銘じなければならないと思います。

トラバさせて貰ったエントリのコメント欄をもし読んで頂けるなら、考え違い等の点をご教授下されば幸いです。

 
 

2007/02/23 09:38

Commented by 大島信三 さん

拝見しました。それぞれのコメントに丁寧に答えておられる。なかなかできないことですね。

 
 
トラックバック(0)