けさの産経新聞「生活改革」面には、女優にして冒険家の和泉雅子さんから、「還暦を迎え、迷子になった団塊の世代へ」おくるメッセージが載っている。日本人女性として初めて北極点到達に成功した和泉さんも、昭和22年生まれの団塊世代。還暦は、ありあまる時間を利用して、自分のなかにある、まだ気づいていない才能と遭遇するチャンスと、ご自身の体験もまじえながら勇気を奮って未知の探検の旅に出ることを勧めている。
<私も北極点の遠征を通して、いろいろな才能を発見した。子供のころから寒さに弱かったのに、マイナス40度の寒さが気に入り、45回も北極の旅を続けている。芸能界しか知らない乳母(おんば)日傘の私が、遠征隊の隊長としてピッタリだったり、氷上キャンプが楽しかったり、サバイバルの才能も見つけた。こうなると、次から次へと才能が顔を出し、ぼんやりしている暇などないのだ(乳母日傘というのは、乳母に抱かれ日傘をさされながら大事に育てられたという意味)>
昔、和泉雅子さんにインタビューした。お会いしたのは、東京の銀座5丁目の8階建てビルの最上階。天下の銀座4丁目交差点は目と鼻の先の一等地。ここに「和泉雅子北極点遠征隊」事務局があった。ビルのオーナーは、和泉さんの父親。もともと家業は、すしと天ぷらとうなぎの食堂だった。子供のころのオヤツは、マグロの中落ちだったという。
恥ずかしい話だが、山奥育ちのわたしは、中落ちがどういうものか、わからなかった。マグロの背骨から取った身で、そこは庖丁がはいらないので、スプーンで身を取るのだという。和泉家の子供たちは、スプーンとドンブリをもって、じっとマグロのさばきが終わるのを待っていた。「さばき、終わったよ」という声を聞くと、子供たちはウワーッとスプーンで身を取るのだ。いまでも、大衆食堂などで中落ちをたべると、和泉さんの話を思い出す。
和泉さんは銀座5丁目から数寄屋橋近くの、かの有名な銀座の泰明小学校に通った。団塊世代で児童数が多く、泰明小学校始まって以来、初めて3組できた。同級生は銀座の跡取りが多かった。
「もう、銀座はブラブラ歩いちゃだめなんです。ひっかかりますから、あっちこっちの店に。すると、お茶飲んで、長くね、うちへ帰るまでに日が暮れちゃいますからね。それで、なるべく自転車で走り抜けることにしてるの(笑い)」
和泉雅子さんは、江戸っ子としては4代目。「もう気が短くて、おっちょこちょいで、祭りが好きで」といったが、すぐに、「ほんとは恥ずかしがり屋なんです、江戸っ子って。テレ隠しで、ワーッと騒いじゃったりするほうですから」と、はにかんだ。
<きょう・あす・あさって>
2月4日、セツブンソウ開花(野川公園)。
2月5日、大安。ロウバイ開花(和田堀公園)。
〔フォトタイム〕
国会議事堂周辺その1
東京都千代田区永田町1丁目にある国会議事堂。国会議事堂。むかって右が参議院、左が衆議院です。




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