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この件は、鳩山さんが正しい

2010/02/10 00:03

 

鳩山由紀夫首相が、飛ぶ鳥落とすほどの勢いの小沢一郎幹事長の発言をなんと、否定した。これには、ほんとびっくりしたが、この件はどこからみても鳩山さんが正しい。

 

8月昼、鳩山・小沢会談があった。そのとき、小沢さんは、いろいろ迷惑をかけたことを詫びて、このまま幹事長をつづけていいかどうかを尋ねた。実際には、ぶっきら棒に「いいか」といったのか、それとも丁寧に「いいでしょうか」といったかは、この際、問わない。関心があるには、そのあとの鳩山さんの発言だ。

 

小沢さんは、当日の記者会見で、幹事長続投を鳩山首相に伝えた際、「ぜひ、一生懸命頑張って下さい、といわれた」といった。

 

ところが、鳩山さんは9日午前、「頑張って下さい、ということばを使ってはいない。“このままつづけてよいか”といわれたので、“はい”と申し上げた“と記者団に語った。

 

また、8日の国会でも、生真面目に「はい、と申し上げました」と答弁していた。

 

これだけの話だが、いろいろなことが想定できる。

 

その1幹事長続投が、鳩山さんのほうからではなく、小沢さんから切りだされたことに、メディアは関心を寄せていないが、これは注目しておきたい。

 

その2。なぜ鳩山さんは、ムキになった小沢発言を否定したかのか。当然、「鳩山さんは、水くさいねえ。信頼する同志というなら、これくらいのことは、見過ごしてもいいじゃないの。これでは、小沢さんに恥をかかせたようなものじゃないですか」という意見もあると思う。第一、こういう否定発言は、小沢さんの神経を苛立たせるのはわかりきったこと。それを鳩山さんが知らないはずはなく、突き放した言い方には、なにか計算があるようにも思える。

 

その3。鳩山さんが、今回、勇気を振るって小沢発言を訂正したのは、最高実力者のご機嫌とりより、支持率を気にしたのか。あるいは、過去にも同じようなことがあったのか。なにか、わだかまりを感じさせる一件ではあった。

 

いずれにしても小沢さんは、いってもいないことをでっち上げた。こういうのを世間では、うそっぱちという。

 

〔フォトタイム〕

 

神田橋その3

このまま真っ直ぐ行けば、大手町です。

 

 

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縄文のビーナス

2010/02/09 13:42

 

古代日本のすぐれた文化財に土偶(どぐう)がある。土偶と埴輪(はにわ)は、似ているところもあるが、全然ちがう。まず、時代が異なる。時代区分からすれば、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、そして古墳時代とつづくが、土偶は縄文で、埴輪は古墳時代のものである。

 

もうひとつの大きな相違は、土偶は女性像だということ。土偶にも男性か女性か判別するのがむつかしいのもあるが、埴輪のようにあきらかに男性とわかる形をした土偶はひとつもない。

 

いま、東京国立博物館で「土偶展」がひらかれている(221日まで)。国宝3件、重要文化財23件、重要美術品2件を含む選りすぐりの土偶が67件展示されている。これほどの土偶が一堂に会することは、当分あるまい。

 

どうして土偶のオールスターが全国から東京に集まったかといえば、昨年910日から1122日までロンドンの大英博物館で文化庁海外展「土偶」が開催され、好評のうちに終了。その展示品の帰国を記念してひらかれているのが本展だ。

 

いちばんのみどころは、やはりつぎの国宝3件といえよう。

 

1、「縄文のビーナス」といわれる土偶は、ミロのビーナスとはちがって、お尻が極端に大きい(長野県茅野市棚畑遺跡、高さ27㌢)。お尻を後方に突きだす姿勢から「出尻(でっちり)土偶」とも呼ばれている。妊婦のようだが、おおらかで、ふくよかな縄文の女性がしのばれる。

 

「土偶展」での撮影は禁じられている。さいわい「出尻土偶」の複製が国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に展示され、撮影も許可されているので、以前、撮ったスナップをアップしておこう。

 

 

2、「合掌土偶」は、両ひざを立てて座り込み、胸の前で合掌する姿となっている(青森県八戸市風張1遺跡、高さ198㌢)。表面にわずかに赤色塗料が残っている。当初は、全身が赤く塗られていたようだ。

 

3、内部が空洞になっている「中空土偶」は、北海道でただひとつの国宝だ(函館市著保内野遺跡、高さ415㌢)。緻密な文様がみごとである。

 

縄文人は、土偶にどういう思いをこめていたのだろう。女性像ばかりということは、安産とか、豊饒なるものへの願いといったことが考えられる。

 

とはいえ、「合掌土偶」も「中空土偶」も乳房は小さく、女性的というイメージからはすこし離れている。あるいは、現代人には、とても想像がつかないような思いが、縄文の土偶にはこめられているのかもしれない。

 

〔フォトタイム〕

 

神田橋その2

神田橋には、首都高速都心環状線の出入り口があります。

 

 

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キリンとサントリーの破談

2010/02/08 16:05

 

やっぱりキリンとサントリーの縁談は、うまくいかなかった。結局、家風のちがいということだろう。

 

家風のちがいの最たるものは、キリンが上場企業であるのにたいして、サントリーは、非上場会社。

 

サントリーの場合、創業家(鳥井家と佐治家)の資産管理会社「寿不動産」が株式の90%近くを保有している。そして、新会社の発足にあたっては、寿不動産が全体の334%超をもつ筆頭株主になることを強く望んでいた。

 

そうなるためには、統合比率でサントリー側の言い分が通ることが不可欠。ちなみに、全体の334%超をもつ筆頭株主は、重要な案件について実質的な拒否権をもつ。

 

一方、キリン側は、寿不動産が実質的な拒否権をもつ筆頭株主になるのは、どうしても認め難い。売上げ高は、サントリーの15倍。最終利益は25倍で、断然優位にあるのに、これでは筆頭株主の意向に振り回されるという懸念があったのだろう。

 

あれやこれや、ほかにも理由があるのだろうが、突き詰めれば主導権争いが決着しなかったということ。それにしても、キリン・サントリーの合併は、壮大で、大いに期待していたので、統合断念はじつに惜しい。

 

〔フォトタイム〕

 

神田橋その1

日比谷通りの神田錦町と大手町の間にかかるのが、神田橋です。写真は、大手町側から撮ったものです。

 

 

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朝青龍の本音

2010/02/07 12:32

 

昨夜、NHKの「追跡!AtoZ」で<朝青龍独占インタビュー>が放映された。4日、記者会見を終えたあと、帰宅する朝青龍29)の車に乗り込んだNHKスポーツ部の北澤義之記者のインタビューである。

 

放送が始まってからあわてて録画をセットしたので、冒頭部分がないけれど、以下に、再録してみたい。

 

「何より相撲を愛した。相撲を愛するということは、やっぱり現役中は土俵で姿をみせることが、愛の意味なんだよね」

――残念でしょう。

「まあ、どこかで仕方がないだろうと思うが、挑戦したかったけどね」

――何に、ですか。

「挑戦したかった、記録に」

――日本の社会はどうでしたか?

「そうですね。民主主義、民主主義っていうけれど、意外と社会主義かなと思う」

 

クルマは、自宅へと近づく。それは、場所中に通るいつもの道だった。

 

「もう、いつも通りの気持ちです。帰る道も一緒。ゲンかつぎの道」

――もう2度と取り組みはやってこないんですよ。

「まあ、まだそういう感じはもっていないけど…」

――自分を変えてまで戦っていくという気持ちはなかったのですか。

「なかった。好き嫌いがはっきりだからね。そういうものを持ちすぎたかもしれない。合わせることができないんですよ」

 

北澤記者がいう、「会見では笑顔をみせていましたけれど、車内では茫然自失というか、引退したことをきちんとうけいれていないのかな、と感じました。いちばん印象的だったのは、車を降りる間際だったのですけれど、“ぜんぶ、終わっちゃったよ”とつぶやいたんですね。ああいう弱々しい姿をみるのは、はじめてです」

 

これだけのやりとりであったが、番組を見終わったあとも、ずっといろいろ考えることがあった。

 

〔フォトタイム〕

 

皇居外苑お堀端その7

都心にこういう景観をもつ。そのことは誇りにしていいと思います。

 

 

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昭憲皇太后と坂本龍馬、そして寺田家

2010/02/06 11:42

 

いまからちょうど106年前の明治371904)年26日、東郷平八郎率いる連合艦隊は旅順、仁川を目指し二手にわかれて佐世保を出港した。同じ日、日本政府は国交断絶をロシア政府に通告した。日露開戦の4日前のことだ。

 

この26日の晩、葉山御用邸に滞在していた明治天皇の美子(はるこ)皇后(昭憲皇太后)は夢をみた。坂本龍馬と名乗る、ひとりの若者が夢枕にたち、「わが海軍を守りますのでご安心下さい」と告げたのである。

 

皇后は、公家の一條忠香(ただか)の3女としてうまれた。龍馬という名前は知っていたようだが、土佐出身の青年とどこかで接点があったわけではないし、顔も知らなかった。

 

龍馬といえば、海援隊。海とは深い縁がある。惜しくも慶応31867)年1115日、京都近江屋で中岡慎太郎といるところを襲われ絶命した。33歳だった。

 

それから37年後のこの不思議な話は、全国に伝わり、龍馬ブームを巻き起こすことになった。夢をみた日から5か月後、皇后は、逓信大臣の大浦兼武が持参した龍馬の手紙をご覧になった。皇后は、その直筆から波乱にとんだ志士の人生に思いをはせ、金百円を大浦に賜り、龍馬を弔われたという。

 

余談になるが、明治神宮のご祭神は、明治天皇と昭憲皇太后のおふたりである。

 

もうひとつ余談をつづければ、大浦に龍馬の手紙を預けたのは、寺田伊助という人物だった。伊助は、大浦が伏見の旧宅を訪れたと聞き、急きょ、上京。龍馬が自分の母親にあてた手紙数通を東京の大浦邸に届けたのであった。

 

伊助の母親は伏見寺田屋の女将、お登勢であった。かの有名な寺田屋騒動の舞台となった旅館である。明治の時代、伊助の代の寺田家は、旅館業をやめて大阪へ移り住んでいた。

 

〔フォトタイム〕

 

皇居外苑お堀端その6

お堀端の散策は、物思いにふけるには格好の場でもあるようです。

 

 

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悩ましい嫌疑不十分

2010/02/05 13:08

 

小沢さんの不起訴に民主党議員は、さまざまな表情をみせたはず。小沢さんの続投を歓迎する議員たちは、議員宿舎の食堂に集まって豆まきに興じ、飲み会で盛り上がったという。一方、ひそかに在宅起訴、幹事長辞任を期待していた議員たちは、豆まきどころではなかったろう。頭を抱えた人もいたと思う。

 

ただ、嫌疑不十分という検察側の判断は、豆まき組をこれからも苦しめると思う。「これできっぱり疑いが晴れました」といったところで、世間の多くは「証拠が集まらなかったので、罪を問うことができなかったようだな」と思っている。検察当局の不起訴決定にイライラしている層が、巷には少なからず存在する。

 

水谷建設の元幹部は、「石川(知裕)議員に現金5000万円を渡した」と供述。「それはない」と石川議員は全面否定。この核心部分が今回は解明できなかったが、はっきりしているのは、どちらかがウソをついている、ということだ

 

いずれにしても、苛立ちを覚えている人たちは、嫌疑不十分に一層、不快感を高めている。こういう世間のイライラ状態は、そのうち民主党の小沢支持グループの気持ちを萎えさせ、だんだんかれら自身もストレスを感じてくるだろう。

 

結局、今回の小沢さんの不起訴は、案外、自民党にとって有利に働くのではないか。自民側にすれば、嫌疑不十分というモヤモヤした状態のまま夏の参院選までいったほうが、むしろ戦いやすいのである。

 

むろん鳩山政権にとっては、こういうムードは好ましくない。参院選で敗北すれば、鳩山政権どころか、民主党政権そのものの前途は暗澹たるものになってしまう。

 

そういう危機感は、民主党政権を支持する一部メディアにも強くあらわれている。その徴候として、小沢批判の先鋭化を指摘してもよかろう。もはや、民主党政権の長期安定化をめざす勢力にとって、小沢さんは邪魔者、という判断である。

 

〔フォトタイム〕

 

皇居外苑お堀端その5

 

 

 

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中国の途方もない化粧品市場

2010/02/04 09:45

 

先日、NHKの海外ニュースで中国の化粧品市場が取り上げられていた。以前から、これはすごいマーケットにちがいないと思っていた。実際、中国のデパートの化粧品売り場は、眩いばかりに華やかで、けっこうな値段のものが並んでいる。

 

資生堂などは、彼女たちの憧れのブランド。ある都市のスーパーへ行ったら、日本の化粧品もどきの商品が堂々と売られていた。

 

NHK報道によると、資生堂に後れをとった、カネボウ化粧品は、中国内陸部の薬局に狙いを定めているという。すでに発展している沿海部より、こんご消費が大きく伸びる見込みのある内陸部を中心に450店の薬局に売り場を設けたそうだ。

 

湖南省のある薬局に、20歳の女性が日本の化粧品を買いにきた。彼女の月収は、約13000円。それなのに保湿クリームなど3600円も買いものをしたのには驚いた。

 

「使い心地がよかったのです。化粧水と乳液もほしいけれど、値段が高いので、このつぎに買おうと思っています。いま、“化粧をしない女性は、服を着ていないのと同じ”ということばが流行っています」という彼女は、海外ブランドの化粧品を買うのが夢だったとか。

 

韓国の化粧品メーカーも中国市場に参入し、着々と販路を広げている。韓国の有名ブランド、ミシャの中国支社長が番組で、「これから3年以内に中国で上場するための準備をしています。そして、5年以内には韓国国内よりも多く売り上げることを目指しています」と語っていた。

 

5年どころか、3年で実現するかもしれない。

 

なにしろ中国の人口は13億人。単純に、そのうちの半分が女性として65000万人。どんなに少なく見積もっても、中国女性の1割は、なんらかの化粧品を使っているはず。だとすれば、その数6500万人。そのうちの1割が、ブランド化粧品を買うとしても650万人。

 

いや、現在の中国の経済状況からいって、650万人どころではないだろう。いずれにしても、中国の消費人口は、化粧品にかぎらず、半端な数字ではない。

 

ちなみに韓国の総人口は、約4600万人。いかに中国の化粧品市場が途方もないかがわかる。

 

〔フォトタイム〕

 

皇居外苑お堀端その4

まっすぐ行けば、帝国ホテルの前にでます。

 

 

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「愚直」「地道」「徹底」

2010/02/03 16:04

 

トヨタが苦戦している。アメリカの1月の新車販売台数は698346台と前年同月にくらべ63%もふえたのに、トヨタは約9万9000台で158%の大幅減だった。いうまでもなく、大規模リコールにともなう主力8車種の販売停止が響いている。

 

おかげで株価も低迷。世界のあちこちで株価が上昇しているのに、日本だけがあまり伸びていない。トヨタは、まさしく日本のリーディングカンパニー。ここはなんとしても踏ん張ってもらいたい。

 

2年ほど前、当時のトヨタ社長、渡辺捿昭さんの話を聞いたことがある。そのとき、渡辺さんは、「色紙を求められたとき、いつも同じことを書いています」といった。

 

「愚直」「地道」「徹底」である。

 

渡辺さんは、「モノづくりをしっかり、愚直なまでに、地道ではあるけれども徹底して進めていくことが大切だ、そういう意味でモノづくりの王道を歩んでいきたいと思います」と語った。

 

トヨタがつまづくと、日本の本体もぐらつく。「愚直」「地道」「徹底」の原点に立ち返って、一刻も早く信頼を回復してほしい。

 

〔フォトタイム〕

 

皇居外苑お堀端その3

日比谷通りの第一生命ビルの近くから皇居方向を撮りました。

 

 

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12・14事件の日、雪は降らなかった

2010/02/02 10:40

 

昨夜は、何度ももくもくと降る雪を窓から眺めた。雪国うまれには、懐かしさと、しんどさと、雪には複雑な感情がわいてくる。ぼそぼそと降っているようでも、気がつけば、どんどんと積もっている。綿のようにやさしい雪も、そのうちずっしりと重くなっている。

 

家の前の雪かきは、かなり重労働だから気も重くなったが、元禄時代のことも、すこしばかり想像してみた。

 

赤穂浪士が吉良邸を襲った日、江戸は雪だったのか、それとも曇りだったのか。いまでも忠臣蔵のクライマックスの場面に雪は欠かせないが、それは初期の劇作家の創作だったのか…。

 

なぜ、唐突にそんな昔のことを思ったかといえば、きのう紹介した細川護熙(もりひろ)元首相の「私の履歴書」(日本経済新聞朝刊)に、その日は曇りだったという記述があったからだ。

 

細川家や近衛家のすごいところは、時間のとらえ方のスケールがけたちがいだということ。近衛家で、「あの戦争は」といった場合、あの戦争とは先の大戦ではなく、応仁の乱だという。

 

「私の履歴書」で細川さんはこう述べている。

<細川家は記録を大事にする家で、江戸時代265年間、担当者が毎日欠かさずつけていた日記もある。それによると、忠臣蔵の討ち入りの日、つまり元禄15年の1214日は、歌舞伎や芝居、映画などでは必ず雪が降っているが、その日誌によると雪ではなく曇りだったとある>

 

当時、江戸幕府でも日々の天気は記録していたであろうし、個人の日誌にも記載はあると思うが、そういう史料が出てきて「雪」となっていないかぎり、細川文書に基づいて、「討ち入りの日は曇り」としなければなるまい。

 

とはいえ、歌舞伎や芝居、映画などの忠臣蔵は、これまで通りに雪でいくべきだ。雪のない忠臣蔵など、ぜんぜん盛り上がらない。

 

ちなみに細川家は、1214事件後、大石内蔵助ら17人を預かった。

 

細川さんは、こう書いている。

<他の藩が浪士たちを犯罪人扱いしたのに対し、細川藩は武士の鏡として手厚くもてなした。3食とも25菜のご馳走だったため、長い間食うや食わずで過ごしてきた浪士たちは、さすがに胃につかえたようで、もうすこしお膳を軽くしていただきたいという内蔵助の要望書が残されている>

 

〔フォトタイム〕

 

皇居外苑お堀端その2

ここは日比谷通りで、このまま行けば大手町です。

 

 

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小沢さんの流儀

2010/02/01 16:24

 

自民党谷垣禎一総裁の代表質問がはじまったとき、衆院本会議場に小沢一郎幹事長の姿はなかった。「小沢さんは、あまり本会議場に出てきませんね」と、自民党議員から聞いたのは、ずいぶん前の話。谷垣さんの質問が終わる数分前に出席したというが、国会より他の用件を優先させるのは、小沢さんの流儀なのか。

 

元旦から始まった細川護熙(もりひろ)元首相の「私の履歴書」(日本経済新聞朝刊)が131日で終わった。細川さんは、日本新党を旗揚げしてからわずか13か月で総理大臣の座を得たが、結局、約8か月で退陣した。その4年後には、議員生活からも引退。現在は、湯河原で作陶や書、油絵などを手がけ、晴耕雨読の日々だという。

 

どのようにして細川政権は誕生したのか。その実質的な瞬間は、「私の履歴書」によれば、こうだった。

 

平成51993)年718日の衆院選で、自民党は過半数を割ってしまった。当時、下馬評にあがっていたのは、新生党党首の羽田孜氏、社会党委員長の山花貞夫氏、新党さきがけ代表の武村正義氏、それに細川さんで、これはという抜きんでた本命は不在であった。

 

しかし、選挙の直後から新生党の小沢代表幹事は、ひそかに細川首班を検討していた。自民敗北から4日後の722日、小沢、細川両氏に近い新聞関係者が、細川さんのもとへ打診にやってきた。その夜、細川さんは、小沢代表幹事とホテルニューオータニの一室で会うことになった。

 

余談だが、先日、小沢さんが東京地検特捜部の事情聴取をうけたのも、このホテルであった。

 

細川・小沢会談では、何が話し合われたのか。ところが、実際にはあっけないほど、短いのだ。細川さんは、つぎのように述べている。

 

<会談は2人きりで数分だった。そのときのやりとりの細かいニュアンスは覚えていないが、「首班をうけてもらえますか」という小沢氏のことばに、わたしから「お引き受けしましょう」。それだけだったと思う>

 

そういえば、小沢さんと鳩山由紀夫首相の会談も、あまり会っている時間は長くない。簡潔というのが小沢さんの流儀なのだろう。

 

外出先から戻ってテレビをつけたら、小沢さんはきのう、東京地検から2度目の事情聴取をうけたという。1回目は4時間30分、2回目は3時間という長丁場。こればっかりは、小沢さんも自分の流儀でいくわけにはいかないようだ。

 

〔フォトタイム〕

 

皇居外苑お堀端その1

皇居外苑のお堀端を歩いていると、気分が落ち着いてきます。

 

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